はじめまして( ˶’ᵕ’˶)
ご縁いただきありがとうございます♡
自己肯定感カウンセラー/保育士のやまみですꕤ
わたしを見つけてくださり、
このブログに興味を持ってくださり、
本当にありがとうございます♡♡
このブログとわたしのこと
少しでも知っていただけたら
とっても嬉しいです♪
まずは、簡単な自己紹介を
させていただきます(❀ᴗ͈ˬᴗ͈)⁾⁾ペコリ
♡名前:やまみ
♡職業:自己肯定感カウンセラー
&
保育士(ベビーシッター)
【保有資格】
・自己肯定感プロカウンセラー
・自己肯定感ノートアドバイザー
・アドラー流メンタルトレーナー
・アドラー流ライフデザイン診断士
・幼稚園教諭
・保育士
♡年齢:1970年代
♡家族:夫、19歳男女の双子、猫1匹
♡住居:名古屋
わたしは優しい夫と双子の子ども達、
素敵な友達にも恵まれて
今とっても幸せですꕤ*°
心の底から思えたのはここ最近のこと。
ずいぶん時間がかかってしまいました…
実はつらい過去に囚われ
その心の傷は深く、
30代半ばまでなかなかそこから
抜け出せずにいました。
どんなに幸せでもなぜか心満たされなく
て、強い孤独感を感じていました。
些細なことでも傷つき
自分に自信がない自分が現れ
「私なんていなくてもいいじゃない?」と
自分の存在価値までも否定してしまう始末。
自分が嫌いだったこともあり
「わたしはなんてひどい母親なんだろう、
こんな最低なお母さんでごめんね。」
と自分を責めてしまい
自己肯定感が恐ろしく低かったです。
結婚してかわいい子ども達にも恵まれて
いるのに自己否定が強いわたしのこと、
幸せな家庭に育った心の健康な人からする
と到底、理解できないことかもしれません。
だから、自分でもよくわからないこの
“心のポッカリ穴”のことを
夫にも親友にも、誰にも打ち明けることな
く今までずっと隠して生きてきました…
自分を信じること、
認めることができなくて
できた自分も認めることができなかったです。
“自分はダメだ”という根拠のないモノに
支配されていた”んだと思います。
そんなわたしはある日、ある本に出会い
「しあわせって自分次第なんだぁ…」と
あたり前のことにようやく気付く、という
人生の転機がありました .ᐟ.ᐟ
それから、わたし独自ですが
理想の自分になるために
毎日コツコツ自分磨きをしました✧˙⁎⋆
自分磨きと言っても“ほんの少し毎日の
習慣を変えただけ”なのですが
プラス思考のクセが身について
勝手に自己肯定感が上がっていったのです♪
どんどん自分のことが好きになり
どんどん人から愛されるようになり
いつの間にか自分に自信もつき
どんな自分も認めるようになっていきました♬
人生180度変わりました!
自分が変わればまわりが変わる
ことも痛感し
仕事や人間関係の悩みもストレスフリー
になりました♪
よく性格は変えられないと言いますが、
それは違うとわたしは思っています♡
必ずなりたい自分になれます!
わたしがその証明だから断言できます♡
“人間はいつからだって、何歳からでも
なりたい自分になれる”
というこの確信から
『理想の自分習慣で人生変わる!』
と強く想い
ブログで発信することを決めました(ღ′◡‵)
そして、幼稚園教諭の経験や
双子の子育てから感じたこと、
子育てにはまずは
親であるママ自身が
自己肯定感を育むことが何より大切
であるということも身をもってわかり
お伝えしたいと想います♡
このブログを読んでくださった誰かが
「自分」「子育て」「親子関係」「人間関係」
に悩み
もしもわたしと同じ境遇にいるとしたなら
ほんの少しでもあなたの役に立ちたい、
手助けになりたい!
と心から想っています♡
親子関係を紐解く
×
自分を知る
ことで人生がガラッと好転することも
お伝えしていけたらと想っています♡
このブログを通して、
世界中のたった一人でも多くの人の
お悩みを0.1ミリでも解決できたなら
わたしにとって
こんなに嬉しいことはありません♪(;;)
その自信のなさを
ポジティブなエネルギーに…
生きづらさを感じている人を救い、
自分次第で人生楽しくなるよって伝えたい♡
わたしは子どもの頃から勉強も運動も苦手な
劣等生でした。
人見知りでコミュニケーションも苦手、
友達作りも上手くありませんでした。
人の目ばかりを気にして、自分がなかったです。
そんな自分のことが本当に大嫌いでした。
・自分はバカでドジ
・友達とうまく話せない
・人に嫌われたくないって行動するの、疲れるな…辛いなぁ
また、人と自分を比べては
・何も取り柄もない…
そんな風に
「なんて自分はダメな人間なんだ」って
自分を否定しては落ち込み
ずっと自分に自信が持てませんでした。
会話のない暗い家庭も苦痛で仕方なく、
いつも葛藤がありました。
愛情も感じられずいつも寂しくて孤独で
本当にこの家の子どもなのかなぁ、
と思うことがありました。
理不尽に怒ってばかりの父親、
人の悪口を言う、世間体を気にする、
子どもを自分の思い通りにし
ヒステリーにわたしを罵る母親
のことが理解できなくて
どうしてこんな家に生まれてしまったんだろう…
こんな家に生まれたくなかったと
いつも思っていました。
「他の家の子に生まれたかった」と
ずっと思ってしまっていました。
しかし中学、高校、短大で素敵な
友達ができたことで変わっていき
幼稚園教諭の仕事に就けたことが
自分にとって大きな自信となりました。
そして
優しい人と結婚もできて双子の子どもも
授かり、とっても幸せになりました♡
そんな人生を辿り、幸せになれた!
幸せになれたはずだったのに…
それでもなぜか心満たされなくて
何か苦境に直面すると途端に、
自分の存在までも否定してしまう
自分が現れたり
孤独感に襲われ辛くて仕方なくて。
そんな自分が自分でもわからなくて、
一人でずっともがき苦しんでいました。
病気かなぁって模索していたわたしは
孤独感の原因を知れたことをきっかけに
「自分の価値もわからない母親ではダメ」と
心の底から「変わりたい!」
と思うようになったのです。
そして、行動を起こしたことで本当の幸せを
手に入れることができました♡
行動と言っても
特別なことをしたのではありません。
なりたい自分になりたいと願い
ほんの少し毎日の習慣を変えた、
ただそれだけで幸せになれたんです♪
様々なシーンでその都度“理想の自分を選択”
していただけなのですが、そうしてるうちに
だんだん、自然と、いつの間にか
何もかもが前向きな気持ちになり
ポジティブな自分へと変わっていきました♪
30年以上も抱えていた過去のトラウマや
劣等感、孤独感さえも知らず知らずのうちに
ス~ッとどんどん消えていき
今では生きるのがラクになるどころか
人生100倍楽しくなりました^^♪
「幸せって
誰かから与えてもらうものではなく、
自分で創って築いていくものなんだなぁ…」
と痛感しました♡
わたしは自分の経験から
“理想の自分習慣”を身につければ
自己肯定感が高まり、
びっくりするほど人生がうまくいく!
人生は自分次第!
ということを、
愛を込めて伝えたいと想っています^^♡
自信は自分で創り出せることを知り
自分が本当にしあわせになれた今、
昔のわたしと同じように
孤独感や自分の価値、存在価値もわからず
自分に自信が持てないと悩んでいる人や
子育てがうまくいかないと
悩みを抱えている人を
一人でも多く救いたいという気持ちが
溢れています♡
「心から本当にしあわせ♡」
「人生、めちゃくちゃ楽しい♪」
「子育てって楽しい♬しあわせ♡」
とより笑顔になれる人を
一人でも多く増やせたら
こんなに嬉しいことはないって思います♡
わたしのそんな夢が実現したら、わたし自身も
めちゃくちゃハッピー、幸せだなって♡
このような理念から
自分の過去の経験から学んだことを交えながら
発信しています♡
このブログでは、わたしの経験から得た
人生180度劇的に変わった心の在り方を
惜しみなく伝えていきたいと思っています♡
ぜひ、興味のある記事から
読んでみてくださいね^^♡
では、ここから先はもう少し詳しく
わたしの歩んできた人生を
お話ししたいと思います!
正直、とても勇気が要りましたが
つらい過去や恥も
包み隠さずお話ししますので
ぜひ続きを読んでみてください^^♡
人見知りでコミュニケーションが苦手で
自信がなかった女の子が、
苦しみながらも自分の力で
本当の幸せを手にしていく…
人生大逆転ストーリー。
「わかるな~って共感しました。」
「勇気と希望が湧きました。」
などお声をいただいています。
ありがとうございます^^♡
悩み苦しみながら歩んだ子ども時代
孤独でさみしかった小学時代
わたしには12歳と10歳離れた兄がいます。
何かのきっかけで「兄弟いる?」
と聞かれると、誰もが決まって
「すごく可愛がられて育ったよねぇ~。
待望の女の子だし。」と言います。
普通に考えたらそう思うのは
あたり前のことですよね。
でも実際は違っていて
両親の愛情を感じることができませんでした。
楽しかった思い出とか何もなくて
会話がない暗い家庭でした。
「おはよう」と言っても誰もが無言。
「ただいま」と言っても母も「おかえり」と
返してくれない。挨拶すらしてくれない。
それがどうしてなのか、未だにほんと
理解できないでいます。
食事中もいつも無言でした。
ワイワイ食卓を囲むこともありませんでした。
5人家族でしたが
5人で食事をした記憶が一度もありません。
クリスマスにサンタクロースが来たことも
ありませんでした。
サンタクロースを信じていたわたしは、
「わたしが悪い子だから
サンタさんは来てくれないんだ」
と本気で思っていました。
誕生日にケーキという記憶もなく
誕生日ケーキでお祝いする家庭に
ものすごく憧れていました。
父は子どもに無関心。
子煩悩ではありませんでした。
一度も遊んでくれたことがないどころか
まともな会話も一度もしたことがありません。
例えば、自転車の乗り方を教えてくれた
そんな記憶もなく
愛情を肌で感じたことがありませんでした。
でも赤ちゃんのときに抱っこされている写真が
残っています。
このたった一枚の写真だけがすごく嬉しくて
唯一の心の救いだったりしています。
子どもって無条件に親が好きだから、
小学校低学年頃までは
子どもながらに遠慮しながら
父にうっとおしがられても
がんばって会話をしようとしたり
くっついていっていました。
でも、寄る度に父に嫌がられました。
とても傷ついていたし、
悲しくて寂しかったです。
わたしのことが嫌いなんだ、と思っていました。
父は日曜日は毎週、決まって
昼間からカラオケ喫茶や麻雀に
出掛けていました。
お酒を飲んで酔っぱらって夕方に帰って
リビングでぐーぐー寝るという
父の休日のお決まりのパターンがありました。
父はわたしと遊んでくれないし
自分のことばかりでした。
いつも自分の都合で怒ってくるし
そんな父がだんだん嫌いになり
高学年には話さなくなりました。
父とのコミュニケーションはだんだん諦め
父にはもう愛情も期待しなくなりました。
会話をしようともしてくれない、
テレビを見て笑うことも許してくれない。
わたしに無関心で理不尽な父に
・わたしのことどう思っているんだろう?
・わたしのことなんてどうでもいいんだ
といつも思っていました。
そんな父に対して色々思うことはありますが、
一番父のイヤだったところは
わたしのことを人に話すときでした。
両親は自営業を営んでいたので
人の出入りが多い家でした。
父は知人が来ると、決まって
「やまみは大変。わがまま。」
と人に話していました。
そもそも父と会話もしていないのに
父は何を大変でわがままと言っているのか
わかりませんでした。
父は母がわたしをいつも怒っている姿を見て
「大変な子だ。」と感じ
そう言っていたのかもしれません。
父が人に話すときの会話って
思えば、自分の子どものことを謙遜して言う
日本人の美徳というか日本人特有の
コミュニケーションだったのかも
と思いますが、
子どもだからわからないし
愛情をもらってないのに言われてしまうから
父の言葉を真に受けて傷ついていました。
わたしは大変なんだ、
「わたしは悪い子なんだ」と思っていました。
そして、父は「お母さんがかわいそうだ。」
とよく言っていました。
やまみがいるからかわいそう、
と言うのです。
邪魔者なんだと思っていました。
ある日、こんなことまで
耳にしてしまいました。
「お母さんが産むって言うから…そのせいで…」
わたしのせいで
お母さんはかわいそう・・・??
わたしがいることは
お母さんがかわいそうなんだ。
だったら産まなきゃよかったのに。
わたし、生まれたいって望んでない。
「生まれたくなかった。」と思いました。
父にこころ無いことは数知れず言われたけど
中でもこのことが一番傷つきました。
それを聞いていたお母さん、
黙っていて何も言ってくれなくて
それもショックでした。
お風呂でシャワーをジャージャー流して
泣いたことを今でも覚えています。
わたしを産む、産まないを迷ったことも
知りたくなかったです。
父の言う事はいつも黙って聞いていたけど
一言一言の人格否定が
少しずつ、1ミリずつわたしの心に刻まれ
それがやがてものすごく大きなモノになり、
そんな目に見えない
“ダメな自分”っていうものが
わたしの「自信」を知らず知らずのうちに
奪っていったのかもしれません。。。
母は、過干渉。
愛情を注いでくれたからこそのこともあったと
思いますが、
母が良かれと思ってわたしにしたことの数々が
わたしを苦しめていました。
母はわがままで自分勝手、世間体を気にする
勉強熱心な人でした。
わたしを
自分の思い通りにしようとしていました。
わたしの意見なんて何も聞いてくれませでした。
そして母はキレイ好きの潔癖で神経質。
部屋に物を置くことを
許してくれませんでした。
わたしは料理の手伝いをしたかったのですが
台所に立つことも許されませんでした。
あれダメ、これダメと制限が多く
自由がなくて母の神経質に
ほんっと息が詰まっていました。
これにはほんっと驚いたのですが
ある日いきなり家にピアノが届きました。
ピアノ習いたくない、そんなこと
とても言えませんでした。
わたしはピアノ以外にも学習塾、そろばん、
習字、水泳などたくさん習い事をさせられ
平日は予定がびっしり詰まっていました。
忙しく学校帰りに友達と遊ぶことは
ありませんでした。
今なら母なりの愛情だったと理解できますが、
わたしは習い事をさせてもらえる愛情よりも
何よりも
母と一緒に楽しい会話をしたり
たわいもないことで笑い合ったり、
そんな
何てことない母の愛情を
心底、望んでいました。
ただ笑顔でいてほしかったです。
本当にそれだけでよかったです。
ピアノの件にしたって、他にも母の期待に応え
わたしは何もかも母に従順でした。
それなのに
母は一度も褒めてくれませでした。
認めてくれませんでした。
学校の成績が悪かったからか
母はわたしに冷たかったです。
風邪を引いたときの方がいつもより増して
母の機嫌は悪く怒りっぽくヒステリー。
おかゆを作ってもらった記憶なんて
もちろんないし
病気しても怒られるんだ、悲しい、寂しい。
と思いながらも
「迷惑かけてごめんなさい。」でした。
母に対して我慢していたことは他にも
たくさんありましたが、
特にイヤだったのが
母が人の悪口を言うところでした。
母からいつも人の悪口や父の悪口も
聞かされていました。
だからわたしは父のことが
ますます嫌いになっていったし、と同時に
父の前ではいい顔しているのに
父の悪口を言う母に嫌気がさしていました。
12歳離れた兄は、かわいがってくれましたが
わたしが小学1年生になった同時に
兄は県外の学校に行くことになり
家を出てしまいました。
兄と会えなくなってしまいました。
わたしは幼かったですが
「お兄ちゃんもこの家にいたくないんだ。」
と思った記憶があります。
兄がいなくなり、
唯一の心のよりどころがなくなり
とっても寂しかったです。
10歳離れた兄は内向的でおとなしく、
思えば兄も心の闇を抱えていたと思います。
引きこもりでした。喋りかけても
わたしとも喋ってくれませでした。
兄はわたしとどう接していいのか
わからなかったのでは?と思います。
なぜなら、父や母がわたしをかわいがる姿を
兄は見ていないからです。
父や母がわたしをうっとおしがる姿は
兄に伝染していた気がしていました。
あくまでもわたしの憶測でしかありませんが。
わたしは2人の兄のことが大好きでしたが
物心ついた頃から
兄と接することはないに等しく、
お兄ちゃんがいるのに一人っ子みたい
いつも一人ぼっちと思っていました。
わたしには祖父祖母もいませでした。
父の方も母の方も、両方の祖父祖母、
4人とも
わたしが生まれる前に
病気で亡くなっていました。
もしも、おじいちゃんおばあちゃんがいたら
わたしには話し相手がいたのかなぁ。とか
おじいちゃんおばあちゃんはわたしのこと
褒めてくれたかな、優しくしてくれたのかな、
可愛がってくれたかな、
って考えたりしました。
わたしには心のよりどころが、ほんとなくて
気持ちが安らぐ居場所が
ありませんでした。
夏休みにおばあちゃん家に泊まりに行く友達が
とてもうらやましかったです。
人見知りでコミュニケーションも苦手
だったので、
友達も少なく
誰ともあまり遊んでいませんでした。
誰もが大好きであろう学校が休みの日曜日は
暇で仕方ないし、寂しくて
日曜日が大嫌いでした。
こんな感じの毎日を過ごしていたわたしは
子どもの頃から
生きてるのって大変
と思い、
寂しい
楽しくない
何のために生きてるの?
生きてる意味がわからない
と毎日を過ごしていました。
子どもの頃から
生きたい、っていう気持ちがほんとなくて
生きるってつまんないし苦しいって思い、
他の家に生まれてたら幸せだったかな、とか
わたしはなんて不幸なんだ、とか
そんなことばかり考える毎日でした。
思えば、子どもの頃から自分の人生に
悩んでいました。
笑い方がわからなかった中学時代
反面教師もあるのかもしれませんが
なぜか持ち前の明るさはありました。
中学生の頃は小学生の頃より自分が出せるよう
になり、少し明るい子になれました。
同じクラスの友達と同じ部活、
卓球部に入ったことがよかったです。
コミュニケーションが苦手なわたしでも
受け入れてくれる優しい友達ができました。
友達と話している時が一番楽しくて
友達っていいな、って
友達の大切さを知りました。
こんなわたしと友達になってくれたこと、
とっても感謝しています♡
今でも仲良くしてくれて
もう本当に感謝しかありません♡
ここでちょっと
自分でも驚いたエピソードをお話します。
わたしはある日
「やまみちゃんって笑い方、へん。」
って言われたことがあるんですね。
びっくりしました。
え?笑い方へん?って。
自分で自分の笑い方を観察してみたら
友達の言う通り、やっぱり
すっごくへんだったんです。
ワンテンポもツーテンポもスリーテンポも
遅れてフフフッみたいな。
そのとき気がついたんです。
わたし、家で笑うことってないって。
それくらいにわたしの家庭は
家族での会話がなくて
会話がないから当然笑うこともない訳で。
テレビを見て笑うことも許されなかったから
わたしは笑い方を知らなかったんです。
笑い方がわからなかった。
笑い方が下手でした。
自分でも衝撃的な事実でした。
いじめられてしまった高校時代
自分を出せるようになり
少し明るくなれたのですが、
気の強そうな人とのコミュニケーションは
苦手でした。
だから、そんな自分を変えたくて
高校では色々な友達たくさん作ろう!
明るく社交的な性格になろう!
と試みました。
高校では元気で明るく活発なグループに
入ってみたのです。
でもこの決断が
大変なことになってしまいました…
友達グループは大人数だから個性豊か。
明るく元気な子、おもしろい子、
気が強くハッキリ言う子、サバサバした子、
優しい子など色々。
まず、わたしは
大人数のグループっていうのが
自分の性格に合っていなくて、
自分で飛び込んだ世界だったのですが
相当、無理していました。
大人数のグループが苦手だったから
コミュニケーションが苦手だったからこそ
そんなコンプレックスを解消しようと
飛び込んだ世界だったのですが。
わたしは3.4人ぐらいまでのグループなら
自分を出せて楽しく話すことができますが、
大人数でのコミュニケーションが
とくに苦手でした。
うまく話せなくて、みんなの話しているのを
ニコニコしてただ聞いているだけ。
口下手で頭の回転も遅いから
話すのもゆっくり。
大しておもしろいことも言えなくて。
おまけに声も小さい。
いつも気を張っていないと
しゃべるタイミングがなくて、
全くしゃべらないで終わります。
話さないと嫌われるんじゃないか?
と周りを気にして、
話そうと気を張るけど
みんなの会話のスピードや元気に
ぜんぜんついていけませんでした。
おとなしいわたしは存在感ないなぁ、
こんな自分はダメ人間だ、
と思っていました。
その大人数のグループは人の悪口が多くて
それもとても辛くて苦痛でした。
いつかわたしも言われるんじゃないか
いつか嫌われるんじゃないか、って
いつもビクビクしていました。
いつも周りの目を気にして行動していました。
みんなに気を遣いすぎて、家に帰ると
もうぐったり。疲れ切っていました。
家族のことで悩み、友達の人間関係にも悩み
夜は毎日眠れなかったです。
高校生で明るく活発なグループに
入ってみたのですが、
おとなしい性格は簡単には変えられず
なかなかうまくいきませんでした。
ただニコニコいるだけの存在、って
いてもいなくてもどっちでもいい存在だよね
と思っていました。
そんなわたしだったからなのか
理由はわからないのですが、
ある日
いじめられてしまいました。
仲間はずれにされてしまい
集団無視されてしまったのです。
今でも鮮明に覚えています。
ある朝、毎日の待ち合わせの
電車の駅のホームにみんながいなくて
待っても誰も来ませんでした。
あれ?今日学校はじまる時間、違う?
でもそんなことないよね
同じ学校の他の子いるし…
もう学校遅刻しちゃうから行こう…
え?もしかして?
わたし仲間はずれにされちゃった??
心臓の音が聞こえるくらい
ドキドキドキドキドキドキドキドキ…
汗が体中から湧き出ていました。
学校について教室に入ると、
いつも一緒に学校に行く仲間は
すでにいました。
それ以前に、教室に入った瞬間、
空気でもうなんとなくわかりました。
仲間外れはすぐに確信に変わりました。
誰も目を合わせてくれませんでした。
誰にも話かけることができないまま
席につきました。
そしたら、話したこともない担任の先生が
「どうした?」って声をかけてきました。
え?わたし普通にしてたのに、、、
どうしてわかっちゃったんだろう…って
必死にグッと涙をこらえていたのですが
担任の先生の優しい心遣いに
涙腺が一気に崩壊してしまいました。
涙がポロポロポロポロ、こんなに涙が出るんだ
っていうくらいに大泣きしてしまいました。
どんなにがんばっても涙を止められなくて
気持ちとは裏腹に
涙がどんどん出てきてしまいました。
つらくてつらくて悲しくて悲しくて
もう絶望でした。
その日その後はどう過ごしたかは
思い出せません。
ですが、「あの子イジメられてる」
みたいな目でみんなに見られるのがすごく
イヤだったから
普通を装ったのは確かです。
話してくれる子が全くいなかった訳では
なかったことが救いでした。
それには本当にこころ救われました。
そのとき話してくれた友達とは今でも親友で
ずーっと心の底からとっても感謝しています♡
わたしにとって命の恩人と言っても
間違いではありません。
それにしても普通にするのって、
すごく大変でした。
唯一話してくれる優しい友達は
同じ電車通学じゃなかったから、
わたしには
一緒に学校に行く友達がいませんでした。
1時間に数本もない電車だったので
電車に乗って行くということは、
「わたしは一人ぼっちです」
「いじめられてます」ということを
みんなに知らせることと同じ行為でした。
だから卒業までの1か月半、約1時間かけて
学校まで自転車で通学しました。
真冬で寒さも重なり辛かったです。
一人ぼっちを隠したかったから
自転車通学であっても
学校には毎日早めにつくようにしました。
誰もいない静まり返った校舎に一人
つらかったです…
トイレに隠れてみんなが来るのを待つ。
みんなの話し声が聞こえると出て行って、
何気なく席に着く。
わたしが仲間はずれになってるって、多分
みんなにバレバレなのに
バカみたいにそんなことしていました。
普通を装うことで自分を守ろうと
必死だったのかもしれません。
帰りは自転車置き場まで猛ダッシュ。
やっと帰れるってホッとしていました。
帰り道、自転車こぎながら
毎日泣いていました。
もう地獄でした。
人生どん底でした。
卒業式まであと〇日、って
毎日カウントダウン。
「がんばれわたし、あと〇日。
がんばれ…がんばれ…」
自分を励ましながら毎日
自転車をこいでいました。
卒業までがんばれば、
この苦しみから解放される!
というゴールがあったからがんばれました。
ゴールがなかったらどうなってたんだろう?
と、いじめの悲しいニュースを見る度に
今でもつらくなり、怖くなったりします。
がんばってましたが、こころ折れる日は
わたしなんか良いところがひとつもないし、
わたしはイジメられてとうぜんの人間。
わたしなんか生きてたってしょうがないし。
わたしが生きてる意味ある?
わたしがいなくなったら
誰か悲しんでくれるのかな。
「こんなに辛い思いするくらいだったら、
〇〇〇方がラク。〇〇〇方がマシ。」
が口癖になっていました。
そんないじめられてしまった高校時代は
人生の中で一番の暗黒時代。
もうほんとにほんとに地獄でした。
いじめられたことでわたしは
もっと自分に自信をなくしてしまいました。
でも、進路は明るかったです。
運よく保育科のある短大の推薦をいただけて
ラクして進学することができました。
幼稚園教諭になりたいと母に相談したら
「大変そうだからやめなさい。」
だったのですが、
内緒で保育短大への推薦願用紙を提出したら
通ってしまいました。
悪いことばかりじゃないな。
いじめに耐えたご褒美なんじゃない?
神様っているのかもしれない!
と本気で思いました。
自分で決めたこの人生の選択が、大正解。
~それから人生は好転していきました~
ステキな友達が自信を与えてくれて、私をつくってくれた
人生の中で一番楽しかった大学時代
わたしにはずっと夢がなかったのですが、
進路を決める時に自分を見つめたことで
夢は見つかりました。
わたしは何が好き?得意?
趣味もないし何の特技もない。
でも子どもが大好き。
勉強苦手だし嫌いだけど、
どうせ勉強するなら
自分のためになるからいいかも・・・♪
幼稚園の先生になれば、
将来自分が母親になったときにも
役に立つかも♬
って決めました。
人の育て方を学ぶことができれば
自分のことも育てられる気がしました。
あと、
わたしは育った家庭環境に悩んでいたので
親の心理を何かしら知れるかもしれない、
知りたいと思ったんですよね。
幼稚園教諭になりたい、という想いは
自分のために♡
という想いもありました。
ピアノが弾けることで幼稚園教諭という選択が
できたことに間違いはなく、
ピアノを習わせてくれた母に
そこは純粋に感謝したのを覚えています。
父は進路のこと、多分知らないと思います。
母も合格しておめでとう、がんばってね、
など何も言ってくれませんでしたが、
学費を払ってくれたからこそ今があるので
そこは心から両親に感謝しています。
短大では自分に似た雰囲気の子が多くて
すぐに打ち解けて、すぐに友達ができました。
みんな優しくて笑顔な子が多くて
いつも笑って過ごすことができました^^♪
短大時代に友人関係で悩むこと、
傷つくことなんて一度たりともなくて
とても楽しく
自分が自分らしくいられる
自分を出せる場所でした♡
幼稚園教諭・保育士になりたいって子しか
いないから、自分に似た性格の子が
多かったのかもしれません。
自分に合った環境を選ぶと居心地がいい、
ということを学びました。
気の合う友達が自信をくれて
感謝の気持ちでいっぱいです♡
一方で、大学時代にしたバイトでは
ちょっとしたミスでもひどく落ち込んで
その度に自分を卑下していました。
苦境にぶつかると、決まってわたしは
「お母さんが何もさせてくれなかったし
お母さんが何も決めさせてくれなかったから、
だからわたしはしっかりしていないんだ。
こんなダメな人間になっちゃったのは
お母さんのせいだ。」と
母を恨んではいませんでしたが
母を責める自分がいました。
その頃のわたしは、
自分の性格を母のせいにしていました。
母は成人式の振り袖の柄も
決めさせてくれませんでした。
友達は「やまみちゃんの振り袖すごいイイ。」
って褒めてくれたから、
母の見立ては間違っていなかったかもしれません。
だけど、わたしは優しい感じの柄に憧れていて
柔らかい色が着たかったんですね。
母が選んだ古風な感じは
わたしの好みではありませんでした。
わたしは振り袖を見に行くかなり前から
「振り袖は絶対に自分が着たいのを言うぞ!」
と密かに意気込んでいたのですが、
母はやっぱりわたしの好みの柄はすべて否定。
いつもの否定でしかなかったです…
憧れの振り袖だったたのですが、結局
母が「これにしなさい。」
というのになってしまいました。
お金を払ってもらう立場だから意見を言っては
いけないと思ったし
怒られたくない、怒られるのがイヤだから
というのもあるのですが
いつだって母の言う通りでした。
今思えば、
母が特別センスがいい訳でもないのに
「母が言うことに間違いはない」という
そんなへんな思い込みがあったんですね。
「母が選んだ柄の方がイイよね」
って思ってしまうんです。
なんでも
自分の意見に自信がありませんでした。
今思えばほんと信じられないことなのですが、
母の意見が何もかも正しいと
当時のわたしは本気で思っていました。
情けないけど、20歳になっても
何でも母に従い、何でも我慢して
母に自己主張ができない子でした。
何でも自分勝手に決める母のことがイヤで仕方
ないのに「母の言うこと=絶対正しい」と思い
なんでも母に頼ってしまっていました。
母に依存していました。
★母依存について詳しくはこちら
↓
生きづらい原因は母依存?自分の人生、自分でコントロールすれば人生は楽しい♪
自分を認めてくれた職業
自信を与えてくれた幼稚園教諭
短大卒業と同時に、晴れて幼稚園教諭になれ
わたしは幼稚園に就職することができました。
幼稚園の先生という仕事は
とても自信を与えてくれました。
大変なこともありましたが、子ども達は
めちゃくちゃ可愛いしおもしろいです♡
幼稚園教諭をしたことで自分が成長できた
経験はとてつもなく大きくて、
わたしの人生においてかけがえのない
一生の宝物。
わたしにとって、とっても大きな財産です。
20歳とはいえ未熟で右も左もわからなかった
ですが、6年間担任をさせていただきました。
失敗もたくさん経験して
ひどく落ち込むことも山ほどありましたが、
いっぱい反省しながら自分なりに
精一杯、一生懸命にがんばりました。
責任感が成長させてくれました。
辛いことがあったとしても
自分が好きなことだから乗り越えられました。
自分が好きなこと、楽しいことをすれば
がんばれることを学びました。
優しくて素敵な先輩先生方にも恵まれ、
色々な先生のお人柄から学ぶことも
すごくたくさんありました♡
優しい保護者の方々にも恵まれ温かく優しく
見守ってくださり、感謝しかありません♡
子ども達からの「ありがとう」やお手紙、
保護者の方々からの感謝の手紙も
めちゃくちゃ嬉しかったです♪
将来わたしのような幼稚園の先生になりたい
と言ってくれた子や大好きと言ってくれた子、
今でも年賀状をくれる教え子もいて
本当に嬉しい♬
学校の先生になった子や
母親になった子もいて、
そんな報告を
20年以上経った今でも知れることは
先生冥利につきる、って思います。
仕事自体は大変でしたが、それよりも
人に感謝されることが嬉しくて、
人の役に立てることがわたしは
本当に大好きなことを知りました♡
幼稚園教諭という職業は、子どもを育てる
お手伝いをさせて頂く仕事ですが
わたし自身、子ども達の成長とともに
成長させてもらい感謝してもしきれません♡
幼稚園教諭という職業に
自分の価値を教えていただいきました。
~幼稚園教諭を6年勤め退社。
そして26歳で結婚しました~
必要とされることが嬉しかったデイサービスセンターでの介護職
優しい人に出会い結婚してからは、喫茶店や
医療事務などのパートをしてみましたが
最終的には人の役に立つ仕事に落ち着きました。
デイサービスセンターで
介護のパートをしました。
わたしは祖父祖母を知らずに育ったので
お年寄りの方を身近に感じたかったのかもしれません。
介護職は特に排泄や入浴の介助
などが何倍も大変でしたが、
大変よりもやりがいがあり楽しかったです♪
目上の方に失礼かもしれませんが
利用者さんのことをかわいい♡
と思っていました。
わたしと話しをすることを
望んでくれる利用者さんの方々がいて
自分を必要としてくれることが嬉しく
自分の存在を認めてもらえる気がしました。
手編みのひざ掛けを編んでくれた方、
いつも手紙をくれる方や
家までわざわざ手作りハンバーグを
持ってきてくれた方もいました。
ステキな思い出ばかりで一生の宝物です。
~妊娠がわかり介護のパートを辞めました~
子どもができたことで、変わりたい!と強く思う
かけがえのない愛おしい双子の子ども達
31歳で男女の双子の子どもを出産しました。
一度に2人の子どもに恵まれ人生最高に幸せ♡
愛おしいってこういう気持ちなんだ♡
ということを知りました♡
幼稚園教諭をしていたから子どもの扱いには
慣れているつもりでしたが、
あたり前ですが
乳児と子どもはぜんぜん違いました。
双子育児は想像を絶する以上に大忙し(^^)
睡眠できなかったり
自分の爪を切る暇もありませんでしたが
可愛いな♡愛おしいな~って気持ち
の方が何倍も大きくて、
すっごくがんばれました。
寝れないのがホント一番しんどかったですが
両親からの愛情不足があったおかげで
「愛情たっぷりに育てたい」というのが
いつも頭の中にあり、
それがエネルギーとなり
がんばれたのだと思います♡
よく夜中に泣いてる赤ちゃんと
一緒に泣いちゃうという話を聞きますが
そういうのはぜんぜん大丈夫でした。
子ども達の寝顔を見ていると
この子達には幸せになって欲しい、
この子達には寂しい思いは絶対にさせたくない
と思っていました。
素敵なお母さんになりたいなぁ。
わたし自身、自分のことを好きになりたい、
自分のことを好きにならなきゃ、って
子ども達を見ているとそう思っていました。
アダルトチルドレンかも?
双子の子ども達にも恵まれ、夫も優しく
わたしは幸せでした。
だけどなぜかやっぱり、自己否定する自分や
強い孤独感に襲われる自分がいて
どうしてだろう?と悩んでいました。
心にポッカリ穴があいてるような感覚です。
そんな頃、子ども達を連れてよく行っていた
図書館でアダルトチルドレンを知りました。
アダルトチルドレン(AC)ってご存知ですか?
アダルトチルドレンとは、その名称から
子供のような大人や無責任な大人と
間違って認識されることが多いようなのですが
そうではなくて
家族関係が『機能不全家族』にあり
子どものころに家庭内トラウマ(心的外傷)
によって傷つき、
その傷を抱えたをまま大人になった人のこと
です。
機能不全家族とは、
団欒し語り合いお互いが支え合うという
「家族としての機能」が十分に
備わっていない家庭のことで
親がアルコール依存、ギャンブル依存症、
生活困窮状態といったケースだったりしますが
「機能不全家族=外から見て問題がある家族」
とは限らなくて
一見すると普通の家庭にしか見えないのに
機能不全となっているケースも多くあります。
わたしの家庭は、機能不全家族の後者の方で
一見普通の家庭にしか見えませんが
家族として機能していない家族でした。
なぜそう思ったかというと
このチェク項目に全て当てはまったのです。
・父親(母親)とまともな会話をしたことがない。褒められたことがない
・父親(母親)の愚痴の聞き役だった
・父親(母親)が人の悪口を言う
・父親(母親)が母親(父親)の悪口を言う
・父親(母親)が世間体を気にしていた
・家族や子供に無関心/過干渉な親
◎「NO」と断ることができないため、理不尽な要求に従ってしまう
◎自分には価値がない、自分は必要のない存在だと思っている
◎親に依存している
◎人の目ばかり気にする
◎小さい頃から、親よりも自分の方が大人だと思っていた
わたしが今まで悩んでいたのは
コレだったんだ、
「わたしはアダルトチルドレンかも?」
と腑に落ち
それから、少しずつ心が変化していきました。
人生の転機
わたしは「こんなお母さんでごめんね。」
と思う母親じゃいけないな、って
ずっと悩みながら試行錯誤していました。
子どもが3歳になり保育園に通い始め
子育てが少し落ち着いた頃、
自分のことをどうにか解決しようと
本屋に行きました。
そこで
石井裕之さんの
『人生を変える!「心のDNA」の育て方』
という本に出会いました。
もういい加減、
どうしたら人に愛されるんだろう?って
悩みたくなかったし、強い孤独感や
自信のない人生を変えたかったので
本のタイトルがこころに刺さりました。
勉強が苦手で読書もまともにしたことがなく
本を読むと眠くなってしまう(笑)
読書嫌いなわたしが夢中になって読み
学んだこと。
それは
「しあわせって、自分次第」
ってことでした。
自分の性格は親のせいではなく
自分のせいだ。
と本を読んで素直に思いました。
すごく学びになり人生が変わった転機です。
父や母のせいにするのはもうやめて
自分の人生、自分で創ろう!
そう決意しました。
再び、大きな壁にぶつかる
復帰したデイサービスセンターが辛かった
子どもが保育園に行くようになり
以前働いていたデイサービスセンターに
仕事復帰しました。
「しあわせって自分次第」ってわかってから
少しずつ生きやすくなっていましたが、
復帰したデイサービスサンターで
人間関係に悩むことになってしまいました。
以前はステキなスタッフの人達が多くて
居心地がよかったのですが、
復帰したら人間関係がガラリと変わっていました。
もちろんいい人もたくさんいましたが
いじわるな人達のグループができていて
人の悪口を言う人が多い職場になっていて、
いじめっぽい雰囲気もあり辛かったです。
嫌われないように行動したり
人の顔色ばかり伺ってしまい
そんな自分に疲れて
だんだん耐えられなくなっていました。
家に帰るともうぐったり。
疲れ切っていました。
高校時代を思い出すような感じでした。
スタッフに気を遣いすぎて
仕事が楽しくなくなってしまいました。
一人で悩むのが限界になってきて
旦那さんに相談したら
「辞めていいよ。無理することない。」
と言ってもらえてこころ救われました。
職場の人間関係に悩んで仕事を辞めるなんて
社会人として間違っていることではないか、
根性がなくて辛抱が足りないではないか、
と思っていたので
わかってくれた旦那さんには
心から感謝しています。
ダメだなわたし…と、また自信のなくなる
出来事に直面してしまったのですが、
“わたしがいる環境はココじゃないかも。
自分が自分らしくいられる場所を選ぼう”
と思いました。
6年間、介護職を務めましたが
辞めることにしました。
無理しない生き方を選択したら、人生ラクになった
自宅でできる仕事、アフィリエイトに出会う
外で働くと人間関係に悩むこともあるし
(わたしはまだまだ未熟だったなぁ…)
それに、子どもが学校から帰ってきた時に
「おかえり。」を言ってあげたい、と
自宅でできる仕事はないかな?と
探しいてたら
アフィリエイトという職業に出会いました。
アフィリエイトとはインターネット上で
企業の商品の販売のお手伝いをする仕事で、
簡単に言えばインターネット上での営業職。
幼稚園教諭や介護職だったりと
今までパソコンに触れる仕事をしたことが
一度もなかったので、
パソコン知識も身についていいかも、
子ども達もこれからパソコンは必須になるし
これからはインターネットの時代だし、
と思い始めてみました。
ところが
アフィリエイトは誰でも簡単に稼げる、
みたいなキャッチコピーが多く出回っていたのですが
とうぜん、そんなうまい話はなく
不安はすぐに的中してしまいました。
ある程度パソコンの知識がある人には
いいかもしれませんが
わたしにとってはめちゃくちゃ大変でした。
やり始めてから
“95%の人が5,000円も稼げないビジネス”
ということを知りました(汗)
とにかくIT用語がチンプンカンプン。
これには今でも笑ってしまうのですが、
PCの意味もわからなくて
『PCとは』とグーグルで検索してたほど
超初心者でした(笑)
だけど、自分で決めたことだからがんばろう!
とやり続けていたら、時間はかかりましたが
パート以上の収入を得ることができ
やればできるって自分に自信がつきました。
家で働くことを選択したことで
社会不適合者ではないか?
へんな風に人から見られるんじゃないか?
と思ったりもしましたが
人にどう思われるか?ではなく
自分がどうしたいと思うか?
で仕事を選んだらラクになり
もうその頃には
そんな自分でも、まぁいっかぁ・・・
と、どんな自分でも〇と思える
自分になっていました。
今まで人の目ばかりを気にしていましたが、
この頃には他人軸でなく自分軸で
生きることができるようになっていました。
自分の人生、自分次第で変えられる!人は変われる!
理想の自分で自己肯定感が高まり、人生が変わる♪
わたしにとって
石井裕之さんの
『人生を変える!「心のDNA」の育て方』
に出会ったことは人生の転機になり
本当に心の底から感謝しています♡
そして、ここでハッキリわかることがあって。
それは、本を読んだだけで
100%自分が変われた訳ではない、
ということです。
わたし独自ですが毎日コツコツ
“理想の自分を習慣にした”ことで
自己肯定感が高まり
人生180度、劇的に変わったのですね^^
なりたい自分の小さな積み重ねですが、
繰り返ししていました。
笑顔を心がけよう、姿勢をよくしよう、
感謝の気持ちをちゃんと言葉で伝えようとか
そんなあたり前のとても簡単なことですが
理想の自分がしそうなことを
毎日手帳に書いて、
ちゃんと行動していました^^
例えば、挨拶ひとつにしても
理想の自分をやってみる。
「挨拶は自分からがいいよね。だって
相手の方から挨拶されたらわたし嬉しい♪
よし、挨拶は自分からだ。
もちろん笑顔も絶対だよね^^」とか。
こんな風にどんな些細なことでも
理想の自分を選択して行動していたら、
いつの間にか
「なんか最近、わたし前向きかも。」って
気持ちの変化に気づきました。
そして
ポジティブな自分がだんだん好きになり、
自己肯定感も勝手に上がっていったのです♪
★自己肯定感が上がる方法、詳しくはこちら
↓
自己否定をやめる方法を探してたけど、自己肯定感が高まったら克服できた話♡
理想の自分をすれば、とうぜん
自分が理想の自分になるから
自分のことが好きになる訳なんですよね。
自分のことを好きになれば
自分に自信もついたんです。
自己愛が大切とよく聞きますが
うぬぼれとは違うという意味が
ようやくわかりました。
それに気づいた瞬間から
未来がガラッと変わりました。
ありのままの自分を認められたら
一瞬でパッと
人生、明るくなりました♪
自己肯定感が上がると、ほんっと
プラスのことしかありません^^♪
●いつも笑顔になる
●自分も相手も認められる
●自分に自信が持てる
●前向きになる
●向上心が高くなる
●ポジティブな人が集まってくる
●ちょっとしたことでも幸せに感じる
●運がいい、今日ツイてると思うことが増える
●悪いことが起こらなくなった気がする
●人に愛される
etc…
お友達からのお誘いも絶えなくなったり
誕生日にはおめでとうLINEを
たくさんもらえたり
サプライズでプレゼントをいただけたり
たくさん褒められるようになったり…。
性格は変えられないって言うけど
それは絶対に違うとわたしは思っています。
自分次第で、人は変われます!
あんなにも自分に自信がなくて存在価値まで
もわからなかった昔のわたしとは、
中身がほんっと別人なので断言できます。
とはいえ、正直、一人で泣けてしまうことは
今でもあります。
親に人格否定された一言一言や
いじめられてしまった過去を思い出して
30年以上たった今でもとめどなく涙が溢れて
しまうことはあります。
だけど過去を思い出して泣いてしまったから
と言って今のわたしは
クヨクヨ落ち込むことはもうないんですね。
自己肯定感が上がってからは、過去に起きた
その出来事に対して涙が出るだけであって
そこで自分を否定しなくなったんです。
今までは過去のつらい出来事を忘れたい、
トラウマは克服しなきゃと思っていましたが
そんな過去があったからこそ今の自分だと
弱い自分も認められるようになり
精神的にめちゃくちゃ強くなりました。
とことん落ち込むこともことがあっても
こんなこともあるよね、と
自己肯定感のおかげで物事をポジティブに
捉えることができるようになったんです。
どんな自分であったとしても
自分を責めない、否定しなくなりました。
自己肯定感を高めれば、
ネガティブな気持ちよりも
ポジティブな気持ちの方が多く持てるようになり
生きやすくなります。
明るく楽しく生きていく秘訣は、
自己肯定感だと経験から感じています。
理想の自分を習慣にして自己肯定感を高めると
“どんな自分も受け入れて、
自分で自分のことを認められる”
自分のことを認められると
相手のことも認められるようになり、
そんな自分になると
人生がびっくりするくらい変わります。
何もかもうまくまわりはじめます!
わたしはそれができるようになって
生きやすくなり、
人生が思い通りになりました^^♪
あと、子どもの頃に両親から受けたトラウマ
に悩んでいる方にお伝えしたいのが、
わたしは自己肯定感を高めたことで
子ども頃の心的外傷ストレスや
母のこころの支配も完全に克服できました。
両親とはこころの中で線引きをして
介護など親孝行をしています。
接していてイヤな気持ちになることはありますが
うまく付き合っているのでそう言えます。
自分で自分をコントロールできるようになり
ほんと、人生がラクになりました。
父に今思うことは・・・
人間は代理強化する生き物だから
もしかしたら父も自分の両親に
同じように
無関心に育てられたのかもしれないな。
子どもの育て方を知らない、
わからないから
子煩悩でなかったり理不尽だったのかも
しれないな。
って思っています。
母に今思うことは・・・
口下手で不器用で、
子どもへの愛情表現が下手で
かわいそうな人かもしれないな。
って思います。
わたしが愚痴の聞き役にならなかったら
わたしが自己主張できていたなら
もしかしたら母に対する嫌悪感は
なかったのかもしれないな。
母との関係が依存関係であったのは
わたしにも原因はあったのかもしれないな。
って思います。
両親に対してそう思えるようになりました。
罪を憎んで人を憎まず、だな~って
思います^^
両親に対してたくさん悩んだ人生でしたが
恨んだことは、ほんとに一度もなくて
育ててもらったことには感謝しています。
わたしは色々な経験をして思うのですが
人生の出来事には
すべて意味があると思います。
わたしの過去の出来事は
わたしが成長するための過程であり、
すべて
未熟なわたしに与えられた試練だったと
本気で素直に思っています。
いいことも悪いことも
すべて神様からの贈り物。
ギフトだと感じています♡
わたしの今の笑顔や思いやりのこころは
つらい過去や経験が創ってくれました。
そんな過去や経験があったからこそ
そのおかけで
・ステキな友達に恵まれた
・愛情深い人と結婚できた
・愛情をたっぷり注ぐ母親になれた
・温かい家庭を築くことができた
・人を傷つけない人になれた
・人の痛みに寄り添える心ができた
だからよかった!
って純粋に思っています♡
自己肯定感が高まったことで
自分の人生、これでよかった。
心の底から、わたし本当にしあわせ♪
と思えるようになりました♡
↑家族ぐるみで毎年キャンプに行く大好きな仲間♡
自己肯定感UPサポーターとして♡
わたしは今まで
本当の自分を隠して生きてきましたが、
あんなにも自分に自信がなかったわたしが
自分に自信が持てるようになったことは
もしかしたら誰かの役に立てるかもしれない…
と思うようになり、
発信することを決めました^^♡
そして、わたしが変われたのは自己肯定感が
高まったからだと確信し、また発信するからに
はきちんとした知識を学びたいと思い、
☆自己肯定感プロカウンセラー
☆自己肯定感ノートアドバイザー
☆アドラー流メンタルトレーナー
☆アドラー流ライフデザイン診断士
の資格を取得しました^^
わたしはやっぱり
人の役に立つことが好きなので
過去のわたしと同じように
人間関係や自分に悩む人へ♡
解決する方法を愛を込めて
サポートさせていただけたら
という想いです♡
信念は、たった一人でも多くの人が
自分は大切な存在なんだと
“自分らしく”人生を楽しんでほしい♡
です
そして、子育てにお悩みの方への想いは
お母さん自身が
「家事や仕事、人生は楽しい♬」と
笑顔で毎日をハッピーに過ごしていれば、
子どもも同じようになります!
とお伝えしていきたいと想っています^^♡
最後に・・・♡
わたしはこのブログを書くことで
自分をさらけ出し、
本心を言うことに
とても勇気がいりましたが、
でもそれ以上に
子育てや親子関係、そして自分のことで
一人で悩まないでください♡
と伝えたかったですし
あなたには
1日でも、1時間でも、1分でも、1秒でも
早くしあわせになって欲しいって
心から想います♡
わたしはずいぶん
時間がかかってしまいましたから。
このブログを通してあなたの悩みを
少しでも早く解決できたら、
わたしにとってこれ以上ない
喜びであり幸せです(*^-^*)
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
プロフィールは長文になりましたが
最後までお読みいただき本当に本当に
どうもありがとうございました♡
いかがでしたでしょうか?
もしよろしければ感想やメッセージなど
各記事のコメント欄やツイッターDMなどで
一言でも送っていただけましたら幸いです♪
頂いたメッセージは全て目を通しています♡
これからもお悩みを解決できる情報を
たっぷりの愛を込めてお届けしていきます♡
何かお困りなことがあったときは
ぜひ覗いてみてくださいね♡
ステキなご縁で出逢えたあなたの人生が
楽しくなることを心から願っております♡
やまみより^^
✼••┈┈┈••✼••┈┈┈••✼••┈┈┈••✼
この度、
スキルシェアサービス【ココナラ】さんにて
ꕤ お悩み相談サービス♪ꕤ
を始めました♡
ありがたいことに、
評価5★★★★★をいただいており
素直にうれしいです(;;)
本当にありがとうございます(*ᴗ͈ˬᴗ͈)ꕤ*.゚
このブログから登録すると・・・
【今なら、招待コード入力で大変お得】
になっております♡
ぜひ、この
キャンペーン中にお気軽に
ご利用くださいねꕤ*°
「一人で悩まないでくださいね♡」
わたしを頼ってくれたら嬉しいです(ღ′◡‵)
↓ ↓ ↓
何でも電話❤あなたを優し~く癒し♡褒め♡応援します お試しOK!1分でも「話聞いて」に全肯定保育士が寄り添います
ちなみに、
わたしの「声」がコチラで聴けます♡♪
Youtubeに初挑戦しました!
毎日コツコツ………機械オンチすぎて
約3か月もかかりました(涙)
緊張気味のわたしですが
よかったらぜひ、聴いてください♡
あなたに安心していただけたら
とってもとっても嬉しいです( ˶’ᵕ’˶ )
↓ ↓ ↓